最近の福冨

2001年5月

先月は早速すっ飛ばしてしまいました。
すみませんでした。
 
さて実は僕は色んなところで音楽を教えております。
実に3校で!できれば一ケ所でやりたいんだけどね。
 
しかし、ほんと音楽学校はたくさんあるんだよね。
それで僕が知ってるのは去年やってたのと合わせると
4校になるわけだけど、それぞれ違いがかなりあってね。
 
その学校の方針も大きいんだけど、大ざっぱにわけると
生徒の自主性に依存するかどうかってとこです。
 
教えるほうからすると生徒のほうからみなぎるエネルギーを
感じればそれに応えるという形が一番ですが、そうもいきません。
作曲をあるとこでは教えてんだけど、大変ですぜ。
 
どうやって生まれて初めて作曲をやろうとする人間に
教えるかってのは。
もっといえば作曲の楽しさをどうやって感じてもらうかってのは。
 
僕自身の経験からすると曲作るのは楽しくてしょうがない
ものだったんで、なんとかしたい気持が一杯なんだけどね。
 
で本題にはいりますと、僕が作曲始めたのは19ぐらいの頃で、
最初に作ったのはその当時組んでたバンドでコンテストに
出ようってことになったんだけど、その際オリジナルが
一曲ないとダメってことで作ったのが最初。
 
すんごい、いい加減でした。
 
バンドのギターリストが作ったコード進行に合わせて適当に
メロディーを載せて作り、しかも歌詞はめちゃくちゃ英語!
思い出すと恥ずかしいッス。
 
でも一次予選は通過したんだよね。
 
思えばこれに気をよくして作詞作曲にはまっていっ たのだった。
で大きな転機は2つあって1つはピアノを弾き始めたこと!
気がついたら ピアノを弾いて歌うミュージシャンが好きなことに
気付き、さっそくビリージョエルとスティービーワンダーの
譜面を買って練習していったのだ。
 
なんつってスティービーワンダーはシャープが多くて最初は
全然弾けなかったけどね。
 
で2つめは非常に音楽的にしっかりした人たちとバンドを組んだ事。
このバンドの人たちは音楽理論に詳しくて、彼等のおかげで
自分のやりたい音楽と作ってる音楽が一致していったわけです。
 
僕自身は今でも理論はあんまりわかってないけど、
かなり耳は鍛えられたんでそのおかげが大きいです。
その頃は1日に3曲位作ってて「俺は天才だア−」と
叫んでおりました。
 
しかしこの勘違いのおかげで今も音楽をやってるわけです。
音楽を志す人間に大事なのは
“根拠の無い自信とやりつづける精神力”
これです!
 
ということでまた 来月!
 
福冨英明 2001.6.2
 
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