題してBBDの「いまさら聞けない技術講座」
特別編「ロンドン紀行」
2002.02.06
其の17.今回の渡航の本当の理由
Last notes in UK 編
☆ そして帰国... ☆
さて、このコラムもこれが最終回です。
日本に戻って早くも2週が過ぎ、少し整理が付かなかった事を思い起こし
ながら日々暮らしております。なんとも不思議な旅行でした。
これから書く事は正直に言うとこのコラムに載せる事を前提にしないメモから
書き起こした物です。考えればあまりにも私的な部分とプライバシーに関する
葛藤が未だに整理できていないままで、今でもこれを書く事を後悔するのでは
とさえ思っています。
ただ、ここに書いて若し人目に触れても、それは何ら偽りの無い事実である事
と、同じような苦しみを持つ人に何か少しでも参考になれば...そんな風に
考えてここに書き記す事にしました。
やはり、今回の旅行の記録としてこの章が無いと、ただ遊びに行って歩き回った
だけのそんな旅行記になってしまいそうで、不思議な気分です。
モーガン君またね...
今回、英国に渡航した理由は叔母に会う為でした...
叔母は昨年の夏に休暇で日本に来て、それ以来の再会でおよそ半年の
ご無沙汰でしたが、状況は前回会った時とは同じではありませんでした。
それも昨夏には判っていた事なのですが...
今回は家の中の様子...写真立て
叔母は難病に罹って、体の自由が利くうちにと来日しました。
病名はALS。
正確には Amyotrophic Lateral Sclerosis 別名 Lou Gehlig's disease
日本では筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)
という長いものですが、最近はこの病気に罹った人の事をテレビなどで
放送している番組も少なくないので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。
モーガン君は本来のベッドに戻りました
少し説明しましょう。
この病気は、人間の運動を司る筋肉を”随意筋”と呼ぶそうですが、その随意筋
を支配する神経をニューロンといいます。ニューロンとは神経細胞のことで、
このニューロンが侵されるのがALSとう病気です。
まあコンピューターでいうところの”機器を繋ぐの導線が次第に侵される”
ようなもので、そうなれば次第に総てが機能しなくなって行くそんな病気です。
しかし、視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚という五感には異常が無く、精神的には
全く普通の人間と同じ状態。しかし、最終的には心臓・消化器の働きには影響
ないまま、呼吸筋が次第に弱くなり、呼吸に支障を来すという症状。
現在の所原因不明。
従妹のアレックスとモーガン
臨床例では、先天性のものも有るそうですが、叔母の場合は突発性
だそうで、日本にも先程書いた通り患者さんがかなりいるようです。
有名な所では”ホーキンス博士”などは、病気と闘いながら活躍している
最も有名な例で、発病後相当な時間を経てもまだ社会活動を続けて
いらっしゃります。詳しい事は自分に関してはこんなページから情報
を頂きました、現状の事や取り組み、そして病気自体の説明も詳しく
載っていますのでよければ見てください。
左は分別回収用のごみ箱・右は柱の飾り(十二支)
具体的にどうなるのかというと、叔母の場合は何かの運動をしている最中
に突然手がしびれ、医者に行った所、ALSと診断されたのです。
最初は手がしびれただけで、生活にはあまり影響が無いのですが、
昨日より今日、今日より明日というふうに次第に自由が利かなくなって行く
訳で、夏に来た時は食事などの不自由はないものの、箸は使いにくいと
フォークやスプーンを使っていました。
水道のコックはハンドルを握り易くする為に取っ手が付けられています
病気の進行や、そのメカニズムは先に紹介したページなどで読んでみて
ください。このページでははからずも自分が医学には少々疎い事も含め
症状などをご紹介するには至りません。但し、今回叔母と数週間同居して
みて判った事を少しづつ、もしかしたら同じ病気で悩まれている方々と
似た立場でお話できたらと思い書いている次第で、専門的な部分に
色々説明不足な部分が生じるかと思いますが、ご了承のほどを。
スプーンも取っ手が少し太くなって(スポンジ状)握り易く
今回自分が英国に渡航した大きな理由は叔母のお見舞いと、親族中から
「叔母が、まずどのような生活を送っているのか、実際に見てそれから手伝い
や必要な物、あるいは見舞いなどの計画を立てる」というもので、自分は
先遣隊ってわけです。しかし、叔母の所には学生の時にオジャマしていらい
ご無沙汰はしているものの、自分が英語を喋れたり、英語で電子機器の
マニュアルを翻訳したり、音楽を作る上でもかなり重要な部分を教えてくれた
恩人と思っている事が手伝って、「何はなくとも行こう」と思い立って、
旅立った次第です。幸い航空券は安かったですが...
これから夕食!食卓には自分と叔母のお皿が(私が調理しました)
すでにかなり病気は進行していて、とにかくこの病気の一番困る事は、
「昨日の状況と今日の状況が毎日のように変る」という事で、昨日は平気
でも今日は駄目、などということも少なくありません。
お手伝いのリンダさん近影(右は叔母)二人とも写真が大嫌い...(盗撮ですなこりゃ)
叔母は普段一人で生活していて、平日は毎日、朝と夕方お手伝いの
リンダさんが来て色々身の回りの事を捌いてくれるし、週末は娘の
どちらかが(両方一遍にってのはなかったな...仲悪いの!?)手伝いに
来てくれるので、不自由は最低限しないで済む生活です。
これはバスルーム(トイレも)の照明用コード、長いでしょ
今回の渡航を通し叔母の状況は以下の感じです。
手を握ったり開いたりは不自由・但し時間をかければ出来る
足腰はかなり大丈夫・歩行もOK・但し激しい運動はダメ
租借力はかなり落ちていて特に長い物を飲み込むのがダメ
呼吸や会話に関しては不自由ながらもOK
しかし会話に関しては長くなるのは厳禁(疲れてしまう)
そして、日本語を喋るのは面倒だと言う事で会話は全部英語
とまあこんな感じで、先程から紹介している写真のように少しづつ生活
便を助ける為に色々な物が使われていました。
あくまでも進行性の病気なので、これは私の行っていた期間の症状で
現在はまた変っている事と思います。
トイレのペーパーは手が届き易い様に必ず長めに切ります
今回は主に食事(日本食・中華などを作ろうと思って色々持っていきました)
の担当と、車を運転して外出などの手伝いをと思っていったのですが、
前にも書いた通りで、車の方はあまり上手く行きませんでしたが、食事は
かなり喜んで頂けたようです。
但し、叔母は一人でなんでもこなしてしまう人で、ダンナさんが亡くなって
10年近くになりますが、病気のダンナの面倒も一人ですべてみていたし
その後は仕事をしながら身の回りの事はすべて自分でやってきた人です。
したがって、自由の利かない自分が時々気に入らないらしく、悔しがったり
怒ったり...これには付き合った自分も参りました。
さらには、自分が食事などを作る際も、色々と説明してくれて、かなり疲労
した事と思います。「おまえは質問をしない」と怒られもしました。本当は
周囲から「あまり色々話させないでね」と釘をさされていたのですが逆効果
にもなっていたようです。
歯ブラシは電動でした(何故か自分も写ってますが...)
特に喋る事は不自由ではないものの、喋って興奮してくるとそのあと
かなり疲労が激しいそうで、その事も含め日常変化が無い方が
病気にはよいらしく、気分転換にとおもって色々と余計な事をすると
帰って逆効果になりかねないという感じ...
さて、少しケアについての留意点を列記してみます。
バスルーム内のシャワーには勿論”手すり”
食事は気を使います。既に租借力がかなり落ちているので、堅い物
や弾力のある物は厳禁。で、飲み込む為の筋力が落ちているそうで、
長いものも厳禁...(ラーメンを買い込んでいった自分の立場は!?)
結局、チャーハンとかヤキソバ(細かく切ったもの)はOKでヤキソバは
3回ほど作りました。やはり作り置きが便利なようで、チキンをオーブンで
焼いて、翌日もそれを食すなんていうことが何回か有りました。
サラダは特性のドレッシングが有り、これを使えば毎日のように簡単な
野菜をお皿に載せるだけでOK...でも叔母用は細かく刻みます。
出発前の朝に近くの診療所を訪れました
食器も重い物は使えないので、フォーク・ナイフはアルミ製かプラスチック製
で、写真にある通り握りの部分に保護材を使って握り易くしています。
他には、部屋の鍵などを普通の人が使うつもりでロックすると叔母は
外したり出来なくなる。したがって、外出時・就寝時以外は家の中は
半分施錠状態(中途半端にロックして簡単に開け閉め出来るようにする)。
但し、叔母はルーズな事がきらいなので、変にドアが半開きになって
いるとゴキゲン斜めになっちゃいます。(結構タイヘン)
これは身体障害者のカード・車を駐める時など優先が有ります
トイレやバスルームなどの照明のスイッチは、長いコードがついていて
引っ張るだけで簡単にオン・オフが出来る様になっていて、トイレット
ペーパーは必ず長めに切っておかないと、手が届かないのだそうです。
冷蔵庫も日常使う物は手が届く下から2段目までに入れます
冷蔵庫の中は、使用頻度の高い物を手の届き易い所において、なるべく
高い所には置かない様にします。勿論食器なども同じ。
さすが英国人だけあって紅茶はやたら御飲みになる。んで、ポットも
プラスチック製の軽い物と、お客様用の薬缶(ヤカンっす)と2通り常備。
心配そうなモーガン君
筆記用具やタンスの取っ手、スプーン、ドアノブ、水道のコックなどは
グリップが太い方が握り易いので、全部改良されてました。
とにかく考え得る事はなるべく煩わしくない様に、アイデアも使って少し
づつ改善されているようで、この国の福祉に対する考え方はそう遅れて
はいないと思いました。
特に車などの優先事項は、障害を持つ人にとっては有り難い感じで、
レディーファースト(人によっては見方が違うが)の国なんだなと、感心
もした次第です。
親娘のショットです...母:電話中 娘:食事の支度中
しかし、基本的には精神的な部分がイチバンの問題の様な気もしました。
「毎日進行する病気に対する不安」・「明日自分がどうなっているのか」・
「そしていつまで同じ生活を続けられるのか」...そんな不安を持つ叔母を
心配する事や、同情する事は出来ても、替わってやる事は出来ません。
娘:アレクサンドラ、彼女の料理は超一級品(コルドンブルーで修行)
叔母は時々、語気を強めて言いました。
「自分は恐らく近いうちに歩けなくなり、車椅子に座り、やがて食事も
出来なくなり、ドレーンチューブで食事を胃に流す生活になり、喋る事も
出来なくなる...そんな日が近いのを知っているけど、少しでもそれを
遠ざける為に、日々静かに生活サイクルを変えずに生きている...」
自分は手伝いに行くつもりがこの生活サイクルを、暗に乱していただけ
かもしれません。
実際、無力感を感じる事は無数に有りました。
そして何も出来ない事だけは判って帰ってきたような気もします。
自分の滞在中最後の週末は、親子が揃った所を撮影...
現在、色々なALS関係の介護や福祉のトピックを日本国内で見るにあたり
ひとつ共通の思い当たる事が有ります。いずれも、ホーキンス博士に代表
されるような、「最新のテクノロジーを使って病気と如何に長く共存するか」
という挑戦を主に取り上げている気がします。
昨年夏、叔母が来日した時にそういうテレビなどの特集を数本集めた
ビデオをかき集め、一緒に見ました。
脳波を使ってコミュニケーションを図る試み、頬や声帯の振動を信号に
変えて通信するもの、角膜の動きを計測して意思を伝える道具...
などなど色々紹介されていました。
日本はこの分野ではもっとも進んでいるそうで、確かに多種多様です。
全部見終えて叔母は「でも私はここまでして生き長らえる気はないの」
と、驚く様な事を言いました。
しかもすでに、英国の主治医にはその話をしたというのです。
で、モーガン君参加
この時は少し仰天しましたが、なんとなくこの人の性格から言って、プライド
のようなものを、ここでも大切にしたかったのでしょう。同じような質問は
そのあとしていませんが、自分には数週間一緒にいた限り、どう考えている
のか現在のところは判断が付きません。
介護をする側と受ける側の尊厳や精神的なつながりについては、自分には
テーマが大きすぎてここには書き様が有りません。
が、少なくとも生きる事と引き換えに、何か失うという事は、あまりに
重大な事なんだ...と思いました。(抽象的でスミマセン)
いままで介護とか福祉について、ありきたりに理解した気がしていた
自分が少し恥ずかしいという思いも有ります。
訪問記最後のファミリーショット
結局無い無い尽くしの結論で、少々恐縮ですが...
自分に出来る事をやるしかないという事
そして、この恵まれた現代の盲点が意外に近くにあった事を
感じる3週間でした。
この後、自分にプラスになるように出来るかは判りませんが、
もし同じような事を感じる方がいらっしゃったら、声をかけてください。
何も出来ないとは思いますが、同じ事を感じる事は出来る様な気がします。
最後にもう一度フォクストンの夕日を...
長い長い旅行コラムになってしまいましたが、お付き合いいただいて
有り難うございました!これで、英国紀行は終わりです...そしてコラムは
通常のスタイルに戻り、4月から再スタートの予定です。
支えてくれた皆さん本当にありがとう。感謝してます。
BBD
2001.02.06 (夕暮れを・記憶の隅に・夢枕...)
97%!ディレクター兼ドラマー兼コンポーザー兼雑用!!BBD
#比重で言うと、ディレクター<ドラマー<コンポーザー<雑用#
質問やご意見お待ちしております。